みなさん、こんにちは!
ナナツノウミです。
今日は東京ディズニーシーのアメリカン・ウォーターフロントのエリア「ケープコッド」について書いていきたいと思います。
ケープコッド、みなさんご存じですか?
プロメテウス火山の左にある、のどかな小さい漁村をイメージしたエリアです。
ディズニー好きの中でも、”落ち着く””住みたい”といった声が聞かれるひそかに人気のエリア。
ダッフィーフレンズ誕生の地としても有名ですね。
そんなケープコッド。
実はのどかな雰囲気とは打って変わった過酷な歴史があるのです。
その物語をいくつかご紹介したいと思います。
まず一つ目。
ケープコッドには大きなシンボルがあります。
それがこちら。
灯台です。
この名称からわかるように、この地域はハリケーンに襲われることが多かったようです。
湾の外を航行する船が嵐の中で迷わないように、この灯台はいつも明かりをともし続けているのです。
実在するケープコッド(アメリカ合衆国マサチューセッツ州バーンスタブル郡)にも数多くの灯台があります。
ケープコッドの東側は大西洋に面しており、水深が浅く岩礁が多いため船がたびたび座擁しました。
そのため、多くの灯台が海原を照らし船の航行を見守っています。
つづいて、二つ目。
ケープコッドの建物が並ぶ前の小さな広場には、ある銅像が立っています。
それがこちらです。
私は幼いころこの銅像を見て、なんだか渋いな、いつものミッキーじゃないな、と思っていました。
ショーに出ているようなキラキラでかっこいいミッキーとは少し違う、変わった格好をしていたからかもしれません。
それもそのはず。
この銅像、実はモデルがあるのです。
グロスターでは海運や漁業が盛んですが、一方で海難事故などで無くなる人々も昔から多くいます。
そんな人々の慰霊のために建てられたのがこの銅像なのです。
ディズニーシーのケープコッドにもこの銅像があるということは、この地域でも海難事故が多かったのでしょうか。
ケープコッドにあるレストラン「ケープコッド・クックオフ」のロビーには、大きな絵画があります。
その中の一つが、「THE WHALING DISASTER 1840」と書かれたクジラに襲われる船の絵画。(画像が無くてすみません)
東京ディズニーシーのケープコッドのモデルとなったマサチューセッツ州は捕鯨で栄えたと言われています。
しかし現代のような技術のない中での捕鯨は過酷で、多くの人々が亡くなったことでしょう。
他にも、このエリアにあるお土産屋さん「アーント・ペグズ・ヴィレッジショップ」の店主であるペグおばさんは、夫を海難事故で亡くしています。
(画像は東京ディズニーリゾート公式サイトより引用)
お店の上に小さなステージのようなものがありますが、これはwidow's walkと呼ばれるもので、海沿いの家によく見られる見張り台です。
ペグおばさんもこの見張り台から海を眺めて、夫の帰りを待ち続けているのかもしれません。
そして三つ目。
ケープコッドで流れるBGMについてです。
ケープコッドのBGMはアイリッシュミュージックへアレンジされていて、どこか温かく懐かしい音楽となっています。
楽曲はシーシャンティ(sea shanty)と言われる、かつて貿易帆船で働いていた人々が歌っていた労働歌が多く使用されています。
厳しい労働下でも労働者同士団結したり、集団で行う作業などで息を合わせるために歌ったのだとか。
確かに、実際に原曲を聞いてみると、力がみなぎってくるような、体を動かしたくなるような不思議なパワーを感じられました。
とても癒される音楽の裏にそんな秘密があったんですね。
さて、ケープコッドにまつわる穏やかなだけじゃないお話をいくつか紹介しました。
今回は省略しましたが、ケープコッドはアメリカ独立戦争にかかわるキーワードがいくつかあったりもします。
今の平穏が築かれるまでにこの地にどんな歴史があったのか、思いをはせてみるのもいいかもしれませんね。
最後までご覧いただきありがとうございました。
また次のブログでお会いしましょう!